LOGINわたしは姉弟の中で髪が一番長いからどうしても長湯になってしまうので最後に入るから、わたしがお風呂から上がるころにはいつも遅めの時間になってしまう。
今日は昼間の疲れもあってかいつもより長湯になってしまった。お風呂から上がってくると姉たちはすでに部屋へと戻り、その代わりに両親が帰ってきていた。
「おかえり~。遅くまでお疲れ様。すぐにご飯温めるね」
「そんなのお母さんがやるわよ。早く髪乾かさないと風邪ひいちゃうわよ」
「平気だよ。遅くまで仕事して疲れてるんだから2人とも座っていて」
お父さんからすまないなと声をかけてもらえるけど、今までいろんなことを子供優先で考えてくれている二人がしてくれてきたことに比べればこれくらいはやって当たり前と言えるくらい。
遅くまでお疲れさまとありがとうの気持ちを込めてビールを飲むか尋ねる。
「ありがとう、いただくよ」
おかずを温めている間に冷蔵庫から缶ビールと冷やしておいたグラスを2つ取り出して持っていくと、お母さんが受け取りお父さんにお酌をしてあげていた。
何年たっても仲いいよな、この夫婦。わたしもこの両親が大好き。若くして他界してしまった前のお父さんのことだってもちろん。
今のお父さんは前のお父さんと友人同士だったらしい。かの姉たちのお母さんは2人が小学校へ上がる前に病気で亡くなったらしく、その後は男手一つで二人を育てていたそうだ。
そんな自分の境遇もあってか子供3人を残してこの世を去ってしまった友人家族の事を放っておくことができず、わたしが芸能界を引退した時期お母さんに仕事を紹介したりあれこれ世話を焼いてるうちお互い惹かれあうようになり再婚を決めたのだとか。ま、お母さん美人だしね。
同じ商社に勤めていてそれなりのポジションについており、帰りが遅いことも多い。
お父さんだけじゃなく、お母さんだってずっとわたし達を大切にしてくれているのは言うまでもない。
以前お母さんにわたしが芸能界を辞めたせいで遅くまで働くことになってしまってごめんなさいと言ったら「子供が生意気言ってんじゃないの!お金を稼ぐのは大人の仕事なんだから気にしないで任せておきなさい」と割と本気で怒られてしまった。
芸能界にいたころは金銭だけが目当ての悪い大人が近づいてこないようにしてくれたり、変な仕事が来ないようマネージャーみたいなことまでしてくれて一生懸命わたしを守ってくれていた。
わたしが稼いだお金は必要最低限の生活費以外は将来のためと言って、億単位のお金があっても贅沢せずに貯金してくれていたのもお母さんだ。
他の子の親を見ていると送り迎え以外何もせず、子供の稼いだお金を使って高価なブランド物で着飾っている人もいたりしたから、その愛情の深さには心底すごいと思うしこの人がお母さんになってくれて本当によかったと思う。
お父さんも自分たちの事よりもわたし達の事を考えてくれたことは変わらない。本当ならお父さんの姓である梅山を名乗ることになったはずなのに、二人はそれを選ばず、婿入りという形で広沢のままでいることになった。
ちなみに広沢は最初のお父さんの姓であり、かつての友人の姓を名乗ることになったお父さんの心境はどうなんだろうとときどき不安になったりする。だって広沢の姓を名乗り続けることを決めた理由はわたしだから。
2度も名前を変更するのは不憫だからという理由。自分の子供は姓が変わることになるのに、それよりもわたしのことを優先してくれたことはとてもありがたいけど、正直申し訳ない気持ちが強かったりする。
最初の姓のときのことなんて何も覚えていないのに。文字通り何もかも。
そんなこともあってどうしても引け目を感じてしまい、お父さんを邪険に扱うことなんてできない。より姉とお父さんの仲をとりもったのもわたしだった。
かの姉とあか姉にも申し訳ないと思ってしまう。2人はそんなことをまるで気にせずわたしのことを大切にしてくれるけれど。
わたしは本当にこの家の子でよかったんだろうか。この恩を返すにはわたしの一生なんかで足りるだろうか。
温め終わったおかずを運びながらそんなことを考えていたら突然脳裏にあの日の光景が浮かんでしまった。
灰色の空から降り続ける雪。雪に埋もれたままだんだん失われていく体の感覚。濡れた髪がまるであの日の雪のように冷えており思わず身を震わせる。
全てはあの日から始まっている。全てを記録するかのようなずば抜けた記憶力に並外れた運動神経。
他の人から見ればうらやむような能力も実際には両刃の剣。
あの日わたしの元を訪れた雪の精霊が命と引き換えに授けてくれたギフトであり足枷。
そう、わたしは普通の人間ではない。
「ほら、体が冷えてきたんでしょ。早く髪を乾かしていらっしゃい」
その様子を見ていたお母さんからそう声をかけられてわたしはハッと我に返った。
温かい家の中にいることを確認して安心する。お母さんの言うとおりに洗面所へ向かいドライヤーを使うことにした。
わたしは広沢悠樹。温かい両親と優しい3人の姉、それに慕ってくれる妹がいる。少し早くなっていた心臓の鼓動を抑えるように鏡を見つめながら自分へそう言い聞かせると落ち着いてきた。
LEDの光を受けて光沢を帯びた髪をなでつける。家族にその方がかわいいからと言われて伸ばし続けている髪。誰もが褒めてくれるこの髪は今ではわたしの自慢だ。
わたしは家族みんなから愛されている。どうして男のわたしを女の子みたいに仕立て上げようとしているのかはわからないけど。
鏡に向かい笑顔を作って洗面所から出ると両親はすでにご飯を食べ終えたようで、晩酌を楽しんでいた。500mlの缶がすでに3本並んでいる。
「あんまり飲みすぎちゃだめだよ~」
「ゆき、大丈夫?」
表情に出ちゃってたのかな。心配かけてるようじゃだめだなぁ。
「なにが?」
バレているのはわかっていたけど、ここはあえてとぼけた。
「……ツラい時は甘えていいんだからね」
わたしはあえて返事をせず笑顔を見せるだけ。これ以上話を続けるとさらに思い出すことになってしまうので話題を変えることにした。
「そうだ、前に相談してた件だけど注文してたやつが今日納品されたんだ。一目で気にいっちゃったからさっそく明日から活動をはじめることにしたよ!」
あからさまに話題を変えたことはお母さんにも当然わかっているはずなのに、それ以上掘り下げることなくわたしの話に乗ってくれて来た。これもお母さんの優しいところだ。
「本当に大丈夫?今でも家の事をほとんどあなたがやっていて忙しいのにそんな時間本当にあるの?」
記憶力と要領のいいわたしは何をやっても手際よく済ませてしまうので時間に余裕を作ろうと思えばそれは容易なことだ。むしろ何もしていない時間が存在することの方が落ち着かないくらい。
家事を姉さんたちにまかせてもいいとお父さんは言うけど、そんなことをしたらわたしのすることがなくなってしまうし、なにより家事はわたしが好きでやっていることだ。
「大丈夫!全部わたしが好きでやっていることだから!明日からが楽しみで仕方ないほどだよ!」
その言葉に嘘はない。みんなの食事をつくることも家をきれいにすることもわたしは楽しんでやっているし、明日から始まるもうひとつのライフワークだってわたしが心から望んで始めることだ。絶対後悔なんかしない。
「あなたのやることだからお母さんたちは信用してるけど……無理だけはしないようにね」
「わかった。じゃあ下準備もあるし部屋に戻るね。洗い物は朝やるから置いておいて」
「洗い物くらいするわよ。そんなことはいいから遅くならないようにね。早く寝なさいよ」
「は~い!おやすみなさい」
「あの子の傷はいつまでたっても癒えることはないのかしらね」
悠樹のいなくなった食卓で明子と武則は先ほどより少し沈んだ表情で顔を見合わせる。
「ゆきくんにとって時間は薬にはならない……か」
「さっきも誤魔化してたけど、表情を見ればすぐにわかったわ。昔を思い出してしまったんでしょうね。」
「それは長年あの子を見続けてきた君だからわかることだよ。だけど無理に話させようとしても余計に過去の記憶を甦らせてしまうだけだろうからね」
「わたしが見つけたあの日から今もたくさんの重荷を抱え続けてるのよ。あの子のためにしてあげられることはないのかしらね。わたし母親なのに。無力だわ」
「無力なんかじゃないさ。あの子があんなに明るく優しく笑顔で暮らせるように育ったのは君のおかげさ。僕たちだけじゃなく娘たちもみんなゆきくんを本当に大切に思っている。いつかその思いが彼の心の氷も溶かしてくれるさ。焦らず見守っていてあげよう」
「そうね。あれだけ心身ともに美しく育ってくれたんだもの。信じてあげるのも親の役目よね」
そう言って悠樹の部屋の方へ視線を向けながら2人は笑顔を浮かべた。
デスクトップPCの前に座って今日納品された原画と3Dキャラを再度確認。何度見てもかわいい。推しの絵師さんに依頼してよかった。
すでに配信ソフトなんかはインストールしてあるので次はこのモデルを読み込んでモーションキャプチャとカメラの設定をすればセットアップは完了。あとはこのPCをスタジオに移設すればいつでも配信を始められる。
これこそマイホーム建築時に言った最大のワガママであり、わたしの貯金が底をついてしまった最大の理由。建物の下だけじゃなく庭にまではみ出して作られている広大な広さの地下室。わたしの夢を実現するためのスタジオは我が家の地下にある。
地下室を作る理由としてわたしの夢の内容と決して途中であきらめたりしない決意をしっかり伝えると真剣に耳を傾けてくれた。
そしてわたしの貯金なんて残らなくていいからと思い切り頭を下げてお願いした。
真剣にお願いするわたしの態度に最初両親はとても驚いていた。
それまでのわたしはワガママなんて一度も言ったことがなく、2人からすると良い子すぎてまるで壁を作られているかのように感じていたのかも知れない。
そんなわたしが初めてわがままを言ったことにとても驚いたけれどそれ以上に嬉しかったようで、2人の間で少し話し合った結果、快く承諾してくれた。
そんな経緯があって出来上がった地下のスタジオでわたしが明日から始めるのはVtuberとして歌とダンスの配信。
芸能界に戻ってはどうかとも言われたけど、たくさんの汚い大人に囲まれたあの世界へ戻る気にはなれない。
それでももう一度世間にわたしの歌とダンスを届けたいという願いは強かった。それにネットには利点もある。テレビだと国内だけの発信になってしまうけど、ネットなら国境を飛び越えて世界の人に見てもらえるチャンスがある。
子役の時、わたしの歌とダンスを見た人はみんな笑顔になってくれた。
わたしの歌に元気をもらいましたというファンレターがたくさん届き、それらは今でも大切にとってある。
歌には力がある。
少しでもみんなに笑顔を届け、沈んだ気持ちを前向きにできるような歌を作りたい。人々を幸福にするという雪の精霊の使命を果たすんだ。
そんな願いを込めて選んだのが配信者という道。顔出しして生のわたしを見てもらうのが一番いいのだけど、それはまだ早い。
プライバシーやセキュリティの問題もあるし、やり残したことをちゃんとマスターするまでは危険を冒すわけにはいかない。
わたしには何よりも大切な家族がいるんだから、わたしが守らないといけない。
それに最初から顔を出して配信してしまうと昔のファンたちが気付いてしまうだろう。まずは先入観なしにわたしの歌を聞いてほしい、評価されてみたいというチャレンジ精神もあったからVtuberというのはそういう面でも都合が良かった。
脳に残った障害のせいで警察官や医者といった直接人々を守る職業につけないわたしにとってはまさに天職。
ひとりでも多くの人に幸せを届けられるように願い、早く思うままに体を動かし声の限り歌いたくてうずうずしてしまう。
暗い気持ちになりかけたさっきの事は記憶の隅に追いやって、明日からの事に思いをはせ期待と興奮で胸を高鳴らせる。今日は眠れるかなぁ。
ひよりとの初配信は大成功で、再生数も今までの神回に負けないくらいの勢いで増えていった。 すっかりダンスの楽しさに目覚めてしまったひよりは、次の配信に向けて昨日とは別の楽曲のダンスを練習し始めた。 そして配信が終わった翌日の日曜日。 まだみんなが寝ている早朝からわたしはスタジオでひとり、ダンスの収録に励んでいた。 昨日、ひよりがわたしのアバターを使っていたのを見て思いついたこと。それを早速試してみているのだ。 まずは普通にダンスを踊りながら、優れた空間認識能力と記憶力を使って自分の動きを頭に叩き込む。 次にモーションキャプチャを装着して、先ほど撮った動画に重ね撮りする形でトレースした動きに合わせ踊る。 これぞゆきちゃんのゆきちゃんによるゆきちゃんのためのダンス! ただ1人2役でデュオをしているだけなんだけどね。 でも動画を見直してみるとなかなかの完成度。 明日の投稿動画にするにはちょうどいい。さっそく予約投稿をして月曜の朝には配信されるようにしておいた。 そこまで終わると休日出勤する両親の朝食を準備するため、リビングへ向かう。 作り置きのおかずやみそ汁を温め、目玉焼きを作っていると両親が起きてきた。「お父さん、お母さん、おはよう」 キッチンの中から声をかけると、2人とも朗らかに返事をしてくれた。「おはよう、ゆき」「おはよう」 最近休日出勤や残業ばかりでとても忙しそう。わたし達のために一生懸命働いてくれるのはありがたいんだけど、2人の体のことが心配だ。「2人とも大丈夫? とても忙しそうだけど、疲れが溜まったりしてるんじゃないの?」 無理がたたって体を壊してからでは遅い。この先姉妹たちには大変な思いをさせてしまうから、両親にはいつまでも元気でいてもらわないと。「大丈夫よ。そろそろ2人ともまとまった休みが取れそうだし、また家族みんなで旅行にでも行きましょう」 そう言ってくれるのはありがたいけど、休みの日くらい夫婦水入らずで仲良く過ごして
学校での放送の効果があったのか、近所での噂もすっかり落ち着いた。 そしてあの事件が起きて以降、変化したことがある。 姉妹たちの距離がやたらと近くなったような気がするのだ。 いや、以前から物理的な距離はけっこう近かった自覚があるんだけど、今は何と言うか、心理的な距離というかやたらと懐かれているというか? 特にひよりが顕著だ。 受験も終わって肩の荷が下りたので、また一緒にダンスのレッスンを再開しているんだけど、それ以外の時間でも何かにつけて一緒にいる。 どこに行くのにも、例えばその日の夕飯の買出しなんかにも一緒についてきて、わたしの周りを嬉しそうに飛び跳ねている。 他の姉たちも、わたしと行動を共にする頻度が増えたような気がする。 そして、以前のようにきらりさんや琴音ちゃんが遊びに来てもあまり警戒しなくなった。 なんだか余裕のようなものが見える。2人の言うことにいちいち反応せず、さらりと受け流している姿には貫禄すら感じるくらい。 さすがに抱き着いたりした時には追い出そうとするけど。 みんなの意識にどういった変化があったのかは分からないけど、以前より圧倒的に過ごしやすくなったので、これはこれで良しとしよう。 そしてダンスに打ち込むようになったひよりはその実力をめきめきとつけていき、今や基本的な動きはほぼできている。 これなら何曲か完全にマスターしてもらって、一緒に踊ることだってできるだろう。 ということで基礎練習はそろそろおしまいにして、わたしの曲をベースに実際通しで踊ってみることにしたんだけど、思ったよりついてくることが出来ていて驚いた。わたしの練習をしっかり見て覚えたんだね。 これならもう少し練習するだけで、全然人に見せていいものになると思う。 となれば善は急げ。「ひより、わたしと一緒にリスナーさんの前で踊ってみない?」 わたしの提案に目を丸くするひより。「そんな、わたしなんてまだまだ早くない? やっと1曲通して踊れるようになったばかりなのに」
休み明け、学校に登校する道すがらですでに予兆はあった。ひよりとあか姉、3人で歩いているとあからさまに感じる視線。 同じ学園の生徒だけでなく、近所の主婦やお店の人、果ては小学生までじっとこちらを見てくるくらいだから、相当広まっていると考えたほうがよさそうだな。 学校が近づくにつれて視線はさらに増え、そこかしこでヒソヒソ話も。なんか悪いことした人みたい。 視線の集中砲火を潜り抜け、ようやくたどり着いた教室。だけどそこは安住の地などではなかった。 教室に入るなり押し寄せる群衆。口々に発せられる質問の数々。 あーもーうっせー!「とりあえずみんな落ち着こう! 何言ってるかさっぱり分かんないよ」 動体視力は人並外れてるから、怒涛の勢いで流れるコメントを拾うことができるけど、耳まで同じというわけにはいかないんだよ。聖徳太子にはなれません。 とりあえずみんなを代表して文香が質問してきた。さすが副会長。身分が人を変えると言うけど、文香も副会長になってからずいぶんと頼もしくなったもんだ。あれだけ引っ込み思案だったのに。「ゆきちゃんの家に強盗が入ったって街中の噂になってるけど本当なの!?」 うん、やっぱりその話題だよね。知ってた。でもわずか2日で街中とか。 いくら普段事件なんて起きない平和な田舎町とはいえ噂が広まるの早すぎない?「一応ほんとのことだけど、どうしてみんながそのことを知ってるのかが疑問なんだけど」 それに応えてくれたのが木野村君。まさか……。「俺は従弟に聞いた。同じ道場に通ってた兄弟弟子なんだろ?」 そう、木野村君は事件当日に来てくれた松田巡査の従弟。「うん、当日うちに来てくれたのも松田さんだったしね。それでどこまで聞いているの?」 仮にも警察官なんだからいくら従弟とはいえ、詳細には話していないだろう。「けっこう詳しく教えてくれたぜ。広沢が強盗を半殺しにして病院送りにしたらしいな」 松田ぁぁ! 警察官が事件内容を一般人にペラペ
姉妹達の献身的な介護のおかげもあって、その日の夜にはお風呂に浸かりながら自分でマッサージできる程度には痛みも引いていた。 明日の学校に響くことがないよう、しっかり念入りに自分の手の届く範囲をもみほぐしていく。 けっこうな痛みが走るけど、それが気持ち良かったりもする。 腕の傷は縫うまでもない薄皮一枚の浅いものだったので、お風呂上りに消毒だけしておけば問題ない。 湯船につかり、手足を伸ばして筋肉のコリをほぐしていく。「ふへぇ~」 お湯の温かさと痛気持ちいい感覚で思わず間の抜けた声が漏れる。 天井からポタリと水滴がひとつ。小さな滴が水面に波紋を作り、それは隅々にまで広がっていく。 心無い男が起こした事件のおかげで、わたしの周辺にも波紋が広がった。 本当はまだもう少し隠しておくつもりだった脳機能障害の話。 パトカーや救急車が集まってきてたから、事件が近隣や学校で噂になったりしないだろうか。 みんなはもう平気だと言ってはいたけど、心の中にはあの事件の恐怖が刻まれてしまっているだろう。 恐怖という感情はそんな簡単に薄らいでいくものじゃない。 幸いみんなはわたしの事を受け入れてくれた。だったらわたしがみんなの心に気を配り、少しでもケアできるようにしていかないと。 より姉にはもっと自分の事を考えろと怒られてしまったけど、やっぱりみんなの事を優先的に考えてしまう。 だってそれがわたしの使命なんだから。 物心ついたころから背負ってきた使命はそう簡単に曲げられるものでもない。 もし曲げてしまったらわたしはわたしでいられるのだろうか。みんなに幸せを届けられないわたしに存在価値なんてあるんだろうか。 どうやらわたしの心の中にまで波紋は広がっているみたい。今までこんなこと考えたこともなかったのに。 ロクなことを考えそうにないので、さっさとお風呂から上がってしまおう。 そう考えて立ち上がろうとした時、お風呂場の扉が音を立てて開いた。「え?」 素っ頓狂
病院から帰ったころにはすっかり深夜だった。 家族のみんなはもう就寝してしまっている。よかった。 正直既に全身が痛い。やはり全力で動いたことのツケがしっかりと回ってきている。 歩くだけでも辛い今の状態を、誰にも見られずにすむのはありがたい。 なんとか自分の部屋にたどり着き、着替えもせずそのままベッドに倒れこんだ。 目を閉じると浮かぶのは姉妹たちの怯えた表情。まさかわたしがあんな顔をさせることになってしまうなんてね。 自嘲気味に笑いながら、自分の覚悟を決める。 明日、みんなに伝えなきゃ。 翌朝、痛む体をどうにか引きずり、朝食を作ろうとリビングに下りていく。階段を一段下りるたび、全身を駆け巡る痛み。 どうにか下の階にたどりつき、キッチンを覗くとお母さんがすでに朝食を作っていた。 家族の前で痛そうな姿を見せるわけにはいかないので、姿勢を正し痛みをこらえてお母さんに近付く。「どうしたの? 朝食ならわたしが作るのに」 お母さんは何も言わずにちらりとわたしを見ただけで朝食を作り続ける。「お母さん?」「わたしが何も気づかないとでも思っているのかしら? 手足を動かすだけでも辛いんでしょう。部屋に戻るのもキツイだろうからそこのソファーで横になっていなさい」 そうか。全部を知ってるお母さんには強がっても意味ないよね。ちょっと怒ってる?「ごめんなさい、ありがとう」 素直に厚意を受け取ってソファーに転がる。そこまでの一連の動作だけでもきつかったけど、横になってしまえば随分と楽になった。 昨日は遅くなったのでまだ少し眠い。気だるさを感じたわたしは横になったまま目を閉じた。「ゆき、朝ごはんができたわよ」 お母さんに揺り起こされて気が付いた。いつの間にか眠っていたらしい。やはりまだ疲労が抜けていないのかもしれない。 どうにか起き上がり、テーブルの方を見て驚いた。 姉妹たちが全員揃ってもう席についている。お母さんが起こしに
心肺停止? でも今でもゆきは元気にしてるじゃねーか。「ゆきは一度死んでいるのよ」 そんな……。ゆきの姿を思い浮かべる。あいつが一度死んだ? その事実がまだうまく呑み込めない。 他の姉妹を見ても、みんなショックを受けて固まってしまっている。 今の元気なゆきの姿からは想像もつかない。ひとつだけ心当たりがあることと言えば……。「あなた達、4分間の壁って聞いたことある?」 突然母さんが質問を振ってきた。全員が首を横に振る。「そう。これから何かの役に立つこともあるかもしれないからよく覚えておいて。人間はね、心肺停止から3分で生存率が50%に下がる。 そして4分を過ぎると高い確率で脳に障害が残ったり、下手をすると植物状態になったりするのよ」 脳の障害……。まさか!「あの子の心肺停止の時間は6分。奇跡的に息を吹き返したけど、なんらかの障害が残ることは間違いないとまで言われたわ。 幸い、言語や行動に大きな障害が残ることはなかった。それでもあの子の世界から全ての色は消えてしまった」 やっぱり……。ゆきの目はそんな事情で……。 ひとり知らされていなかったひよりが驚いた表情のまま硬直している。その気持ちは分かる。あたしだって最初に聞かされた時はなんて声をかけていいか分かんなかったもんな。「ひより以外はみんな聞いていたみたいね。ひより。気持ちをしっかり持って。ゆきの目はね、全ての色が見えないの。 普通は色覚障害というと光の三原色のうちひとつかふたつが見えないだけでなんらかの色は見えるのだけど、ゆきの場合は全色盲といってすべての色が見えず、完全に白と黒しかない世界に住んでいるのよ」 驚きのあまり固まっていたひよりが目に涙をいっぱいに溜めながら声を上げた。「でも! ゆきちゃんは普通に生活してたよ? 信号の色もちゃんとわかってるもん!」「あの子の本棚見たことある? その中に色彩図